「スポーツ毒親」になりかけていた自分と、娘のために本当に必要なこと

娘が巻き込まれた「スポハラ」と、危うく「スポーツ毒親」になるところだった自分への戒めについての記事です。

スポーツの現場での暴力やハラスメントの根絶を強く望みます。

娘が小学5年生になったある日、「バレーボールをやってみたい」と言い出した。

それまでスポーツと呼べるものはまったくやってこなかったし、どちらからと言えばインドア派の娘だから正直驚いた。

 

「ハイキュー!!」の影響であったことは想像に難くないが、きっかけなんて何でも良い。

やってみたいという気持ちが大切なのだ。

ここは親として是非やらせてあげたかった。

 

しかし周囲になかかなかバレーボールができる場所やチームが見つからない。

いろいろ探してようやく見つかったのは、少し前にチームを立ち上げたというところだった。

若干不安はあったものの、他に選択肢が無かったためそれでも体験練習に申し込み、参加。

行ってみると、メンバーは小学3年生以下が6名という少人数。

チームの代表者=監督と不定期に来てくれるコーチが指導を行うという環境だった。

 

練習に参加してみると、最初なのでなかなかうまくいかない部分も多かったが、娘は楽しかった、やってみたいと言うのでチームに参加することにした。

メンバーが少ないので保護者もサポートで入ることも多く、私も妻もバレーボールシューズを買ったりしてなるべくサポートするようにしていた。

 

しかし、練習を重ねていく度に監督の指導に疑問に思うことが多くなってきた。

 

・練習メニューの内容や意味を説明せず、理解できないままに子供がやっているとすぐ口をはさむ。

・気分次第で途中で練習メニューを変えたり中断したりする。

・言っていることがころころ変わる。

・根性論ばかりの説教。

・できなかった子に対する詰問。

・耐え切れず泣き出す子供たち。

 

コーチもいるが、結局は監督のワンマンチームであり、すべては監督の気分次第であった。

 

当然の帰結として、技術はなかなか上達せず、子供たちは監督の顔色ばかり窺うようになってしまっていた。

練習中には笑顔も声掛けもほとんど無くなってしまった。

 

手こそ出さなかったが、これは暴力スポーツハラスメント(スポハラ)だと思った。

スポハラに耐えている子供たちの姿を見るのはなかなか辛いものがあった。

でも、私はそこで声を上げることはしなかった。

娘はバレーボール自体は本当に好きなのだ。

もっとやりたい、上手になりたいという気持ちは本物なのだ。

だから練習には参加し続けていた。

 

しかし、チームに参加して約3ヶ月が経った頃、そんな娘に異変が起きた。

いつも通り車に乗せて体育館にまでは行ったのだが、車から降りることができなかった

「行きたくない」「もういやだ」と涙を流して訴える娘を見て、ようやく私も妻も目が覚めた。

 

バレーボールができる貴重な場だ、上手になるために・強くなるためにはこういう経験も必要だと己に言い訳をして、理不尽な状況に目をつむってしまっていた。

でも、それはただ娘を暴力に晒していただけだった。

 

今になって思うと、娘がバレーボールをやりたいと言ったことで私も妻も浮かれてしまっていたのだと思う。

スポーツをやって欲しい、それもできればチームスポーツをと夫婦で話していたところにピッタリのものが来たので目がくらんでしまっていた。

 

娘は結局そのままチームをやめることとなった。

バレーボールができる場が無くなることは残念ではあったが、冷静になってみればとても娘を預けられる環境ではなかった。

 

その後しばらくしてから人数も多く指導体制や環境がしっかり整ったチームを見つけられたので、今は娘はそこでのびのびと練習に励んでいる。

理不尽な暴力は無いし、泣く子供もいない。安心して娘を預けられる

大会への出場や勝利を目指すところではないというのも合っているのだと思う。

場所が少し離れたところになったので送迎は大変だが、良い環境を見つけてあげられて本当に良かったと思う。

スポハラを目の当たりにした時に、こんな本を読んだ。

スポーツ毒親 暴力・性虐待になぜわが子を差し出すのか

例の監督に当てはまる部分も多かったが、それ以上に保護者側の対応が心に突き刺さった。

この本は妻も読み、二人で話し合った。

二人とも娘に勝手な期待をかけ、「スポーツ毒親」になりかけていた。

 

でも、ここで気が付くことができてよかった。

 

娘の人生は娘のものだ。

親が勝手な期待や夢を託してはいけない

しょせん、親は他人。

小学5年生にもなれば一人の人間として、その人格を尊重しなければならない。

親ができることは、環境を整えてやることくらいだ。

 

こんな当たり前のこと、わかっていたはずだが、わかっていなかった。

本には「全国大会の魔力」という言葉が出てくるが、スポーツは一歩間違うと周囲の目を曇らせる。

そこで違和感を持って、声を上げられるか、行動できるかが重要だ。

自分が痛い目に遭ったからこそ、はっきりと思う。

スポーツをやりたいという気持ちを利用して、子供たちの尊厳を傷付けるようなことがあってはならない。

特に親がそうなってしまうと子供は逃げられないので、本当に気をつけなければならない。

 

今後、娘がどれくらいバレーボールをやるのか、どのレベルまで達するのかはわからない。

しかし、そんなことはどうでもいい。楽しんでプレーして欲しいバレーボールを好きでい続けて欲しい

いつか、「バレーボールって楽しい」「やっていて良かった」と思ってくれれば、こんなに幸せなことはない。

 

-コラム
-,