趣味の話になった時、やたらとハードル上げてくる人がいたりしませんか?
例えば、ランニングが趣味だと言えばフルマラソンはどうだとか、ゴルフが趣味だと言えば100切って当たり前、映画が趣味だと言えば年間30本は見なきゃとか。
なぜそんなこと言われなきゃならんのでしょうか。
目次
趣味とは何か
手元にある三省堂 新明解国語辞典 第八版を引いてみると、以下のように記載されています。
趣味(しゅみ)
①そのものを深く知ることによって味わえる、独特の良さ。
②(利益などを考えずに)好きでしている物事。
③(選んだ物事や行動の傾向を通して知られる)その人の好みの傾向。
つまり、趣味を成立させる要素は本人が好きでやっているという一点のみ。
そこに上手い下手や、程度は関係ありません。
なぜそんなにハードルを上げてくるのか
なのに、世の中にはやたらと人の趣味に対してハードルを上げてくる人がいます。
上述の例で言えば、フルマラソンを走っていなければ、100を切っていなければ、年間30本見ていなきゃ趣味じゃないと。
こういうことを言う人は、自分の中で勝手に趣味と言うものに対するイメージ、定義を作っていて、そこに人を当てはめようとしているわけです。
つまり、趣味とはこうあるべきという固定観念に縛られ、あまつさえそれを人に押し付けてくるような人です。
こういう人のことを、ベッキーさんと呼びます。
なぜベッキーさんが生まれるのか
なぜこのようなベッキーさんが生まれるのか。2つ理由があると考えます。
①劣等感の裏返しで、とにかく相手を否定したい。
②趣味を極めている人ばかり目につくこと。
①は昔からあったでしょうが、②はネット全盛の現代特有の事象です。
動画にしろSNSにしろ、人に見られたい、称賛されたい、或いはお金のためにレベルの高いものばかり投稿されていきます。
こうした中では普通レベルのコンテンツはなかなか見てもらえませんし、投稿する意欲も無くなるでしょう。なので、必然的にレベルの高いものばかりが目に付くわけです。
そして、このレベルの高いものが普通だと思い込んでしまい、勝手にそれと比較してくるわけです。
趣味ならこれくらいやるべき、と。
悲しきベッキーさん
ベッキーさんは不幸です。
他人に自分の歪んだ価値観を当てはめるだけでなく、自分自身もその歪んだ価値観に縛られてしまうから。
考えてみてください。
フルマラソン走ってなんぼと常日頃人に言っている人が、気軽にランニングを始められますか?
お前の趣味はその程度なの?と、他人に言っていることが全部自分に返ってくるんです。
趣味なんて自分が楽しければそれでいい
話が逸れました。趣味って何なのって話でした。
最初に戻りますが、趣味とは自分が好きでやっていることです。
下手でも、浅くても、失敗しても、自分が楽しければそれでいいんです。
他人の目を気にしてやりたいことをやれないのは虚しいことです。
ベッキーさんなんて無視しましょう。
気軽に趣味を楽しめる世の中に
他人の趣味なんてどうでもいいので、気に入らなくても否定せず、認めてあげればいいんです。
そうすれば自分も好きなことに集中できます。

ってくらいでちょうどいいんじゃないでしょうか。
そんな気楽にいろんな趣味を楽しめる余裕のある社会を願っています。
余談:バイク界隈のベッキーさん
バイク界隈はベッキーさん率高めな気がします。大型に乗るべき、○○は認めない、△△に限る、等々。
こういうベッキーさんが無駄に敷居を高くして、バイク人気の低迷に拍車をかけるんです。
有害なので黙っててください。