【料理は愛情】妻の料理に対する感想は「おいしい」か「うまい」しかない件

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結婚して家庭を持っている世の男性諸君。家庭の食卓は幸せに満ち満ちているでしょうか。

毎日の食卓を明るく楽しく幸福なものにする秘訣は何でしょうか。

ちょっと考えてみませんか?

 

「料理は愛情」の本当の意味

料理は愛情」という言葉があります。

一般的には「料理を作る側」に求められるものとして、愛情を込めて料理を作りましょう、という解釈になるでしょう。

もちろんそれも大切だと思います。

 

でも、毎日毎日、家族とは言え他人のために料理を作っていれば、多忙でそこまで手をかけられなかったり体調がよくない時もあるでしょう。

そういう時、「料理は愛情」は重荷になりはしないでしょうか。

また、愛情を込めてという想いは、時に愛情の押し付けになってしまわないでしょうか。

 

わたしは思います。

「料理は愛情」とは、「料理を提供された側」にこそ求められるものであると。

 

感謝と愛情

本来、自分で確保、準備しなければならない食事を提供してもらうということはそれだけでありがたいものです。

お店であればその対価として金銭を支払いますが、家庭においてはさすがにそれはないでしょう。

 

では、何を返せるのか。

やはりそこは愛情や感謝の気持ちということになってきます。

 

それを心得ていれば、「この料理どう?」と聞かれた時の答えは自ずと決まってきます。

つまり、「おいしい」か「うまい」しかあり得ません

 

初めての夫婦喧嘩

わたしが結婚して、最初の夫婦喧嘩はまさに料理に関するものでした。

ある日、妻がカレーを作ってくれました。

そのカレーの盛り付けが丸皿だったんですよね。ごはんを真ん中に丸く盛ってその上にカレーを置くような、キーマカレーでよくある盛り付け方。

わたしは実家ではいわゆるカレー皿で右にごはん、左にカレーという盛り付け方だったので、そのことをちょっと言いました。

 

すると妻が「じゃあ自分で作ればいいじゃん!」と怒って言い放ち、わたしもそれくらいのことで何だと応酬し喧嘩となりました。

結局わたしが謝って最後はおさまったのですが、お互い大いに反省したものでした。

じゃあ自分で作ればいいじゃん!は本質を突いている

妻が言い放った「じゃあ自分で作ればいいじゃん!」は感情的になって出たものでしたが、これは非常に本質を突いています。

 

妻が夫や家族に料理を作る際、そこには愛情が注がれていることでしょう。

その愛情を否定したり軽視したりするような言動が返ってきてしまうと、「せっかく作ったのに」という気持ちになるのは仕方のないことです。

逆に自分が料理を作って、冷たい反応が返ってきたときのことを考えてみてください。

 

せっかく作ってくれた人に愛情や感謝の気持ちを持てないような人は、料理を作ってもらう資格がありません。

そんな人は自分で食事を用意するしかないのは当然のことです。自分で作りましょう。

 

愛情・感謝を伝えて夫婦円満

わたしは毎度妻に感謝していますし、実際妻の料理は美味しいので楽しみにしています。

 

別に毎回一から手作りでなくても何も気にしません。時にはインスタントや冷凍食品に頼ることもあるでしょう。

やれる範囲でやってくれれば、それで十分ですし、感謝するのです。

 

たまに新メニューが出てきて感想を求められることがありますが、「そもそも妻の手料理に対する感想なんておいしいかうまいしかないよ」ということを折に触れてわたしが言っているので、最近はまさにジャイアンのように「おいしい?うまい?」と聞いてくるようになりました。

洒落のわかる妻で楽しいですし、こういう関係だから安心して新メニューに取り組めているし、食卓が楽しくなるのだと思います。

 

最後に改めて言います。

妻の料理に対する感想は「おいしい」か「うまい」しかありません。

 

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